半身不随になる
1、長期戦の覚悟
2、親のありがたみが身に沁みる
3、否応なく治療を中断する
4、長年のコリが消える
5、半身不随になる
1、長期戦の覚悟
私はこの先生のもとに、毎日のように通いました。もちろん、治療に効果があったからですが、人柄も好きになっていました。
先生も若いころ同じ症状があったためか、私の話をよく聞き、治療時間も特別に長く取ってくれました。
「どうですか、楽になりましたか」
治療が終わると、先生は訊いてくれます。
本当に肩の荷が降りたように感じていた私は、「はい、楽になりました。ありがとうございました」と、実感を込めて答えました。
「もう少しすると、楽になる期間が長くなってきますよ。つらくなる前に治療すれば、楽な期間が続く訳ですからね」
この言葉に、私は長期戦になること、毎日のように通わなくてはならないことを覚悟しました。
もしかすると、「患った期間と同じ期間治療しなければならない」と言った以前に通った先生が、まともなことを言っていたのではないか。と、フッと頭をかすめました。
2、親のありがたみが身に沁みる
鍼は服薬や注射のように、体に薬を入れる訳ではないので、施術者によって随分と効きめが違うと、医療に素人な私は勝手に思っておりました。
親のすねをかじりながらの治療ですから申し訳ないとも思いましたが、3日も放置するとつらくてどうしようもなくなります。両親も私の顔色を見れば楽になっていることがわかるので、治療費は嫌な顔をせず出してくれました。
「私も治療してもらいたい」
肩こらしである母親は、私に効果があると知ると、いっしょに同道するようになりました。
何回かは母親も同じように治療を受け、「ああ、楽になった。あの先生の鍼、効くね」と、喜んでいた母親でしたが、しばらくすると、
「私は今日はいいから、やることもあるし」と言って、3回に1回は同道しなくなりました。
私もその意味が分からないほどの子供ではなかったので、親のありがたみが身に沁みました。当然、その頃には母親に暴力を振るうことはなくなっていました。
3、否応なく治療を中断する
その鍼灸院に通いだして1年くらい経ったある日、いつものように治療に訪れました。しかし、家には白黒の幕が張られ、おそらく近所の人でしょう、見知らぬ人が出入りしていました。
「どなたか亡くなられたのでしょうか」
私は、家から出てきた1人に尋ねました。
「先生が亡くなられたんですよ。昨日、交通事故でね」
ショックを受けた私は、トボトボと元来た道を引き返しました。
先生とは、治療を超えて心が響き合っていました。
すぐには次の鍼灸院を探す気になれず、日に日に重くなっていく体を持て余していました。
4、長年のコリが消える
そんなときです、急にコリを感じなくなりました。
「え、え!」自分でも驚いていました。
「何でなんだ。もしかして、先生の治療が効いていて、肩こりが治ったのか」
コッているのが日常だったので、急にコリが取れたことを素直に喜ぶ気にはなれませんでした。ただ、不思議でした。
5、半身不随になる
ちょうど夕飯時だったので、家族といっしょに食卓を囲んでいるところでした。
左手で茶碗を持とうとしましたが、動きません。
「え、なんでだろう」
右手では、ちゃんと箸を持つことができます。もう一度、左手で茶碗を持とうとしましたが、まったく動きません。
脂汗がでました。
右手で体のあちこちをさわったり、擦ったりしました。左半身からまったく感覚が消えていました。
「お前、何やってんね。サッサとご飯食べてしまいなさい」
母親に急かされても、左手はピリッとも動きません。
「左半分に感覚がないんや。手も動かせん」
夕飯どころではなくなったのは言うまでもありません。
感覚がないのは左の上半身だけで、歩くのに不自由はありませんでした。
朝を待ちかねて病院へ行きました。明日になれば治っているのではないか、という淡い期待は、とっくに吹き飛んでいました。
近所の医院ではまったく見当がつきかねるということで、紹介状をもらい、済生会病院へ行きました。
先生が私の左手を持って動かすと、動きました。しかし、自分の意思で動かそうとすると、動きません。
「感じたらおしえてくださいね」
先生は刷毛で左半身を撫ぜたり、カギのようなもので引っ掻いたりしましたが、何にも感じません。
「この、首のコブは何ですか」
上半身裸になっていたので、医師は目立つコブを見つめて言いました。
松木で叩かなくなって随分経ちましたが、コブは消えてはいませんでした。
私はその経緯を説明しました。
「それは、トンカチで叩いているのと変わりませんね。このコブが原因かもしれません。こんなに肉が盛り上がっているのは、体が抵抗しているのです。神経に異常をきたしている可能性があります」
それが原因なら、手術で取り除くなど方策はあるだろうと内心思いましたが、医師は具体的な処置については何も言いませんでした。
結局は、何もわからないまま「少しの間、様子を見ましょう」ということで、帰されました。
「お前のはコリからやで。それが証拠に足は動くやないか」という父親の判断で、以前に行ったことのある鍼灸院はもちろん、新たな鍼灸院、マッサージ師等、片っ端から当たりました。
何とか左半身に感覚が戻り、腕も動かせるようになったのは、それから2ヵ月も経ってのことでした。
済生会病院には、最初の診察を受けたのみで、行きませんでした。