こんにちは、笹井 宏です。
10年ほど前のことですが、私の家の近くに内科医が開業しました。
見つけたのは妻です。
HPを見て、「内科の先生だけれど、アレルギー科もあるらしい。近いし行ってみたら」
花粉症で悩む私は妻の勧めで、以来長年お世話になることとなった先生なのですが、
【肩こりで死んだ人はいない】の一言で、行かなくなってしまいました。
今回はそのてんまつを書いていきたいと思います。
1、 軽い気持ちで診てもらった先生に、何度も助けられる
2、 2回目の肺炎
3、 家族でお世話になる
4、 長年封印していた肩こり、首コリを医師に相談する
1、 軽い気持ちで診てもらった先生に、何度も助けられる
有名国立大学の医学部を出て、留学もして両方の大学でドクターを取った、ちょっと近所にはない経歴を持った先生でした。
木目を生かした待合室を持つ、北欧風のおしゃれな医院でした。
若いしハンサム。そして、腰の低い先生でした。
いつも、こちらが要求する以上の診察をしてくださいました。
なにより信頼を置けたのは、自分の医院にはない専門的な設備を使用しての検査を要すると判断した時は、ためらわず大病院を紹介してくださることでした。
2、2回目の肺炎
ある日のことでした。
熱が出て、コンコンと嫌な咳が止まりません。
椅子に座っていることすら大儀で、会社を早退しました。
中途半端な時間なので座れましたが、電車に乗り込むと同時に、膝に抱えたバッグに突っ伏してしまいました。
その医院は、最寄り駅から徒歩で5分くらいのところにありました。
その日は足が進まず、這うようにして20分もかかってしまいました。
レントゲンを撮りました。
「これはいけませんね。もっと詳しく検査する必要があります」と、レントゲン写真のCDRを付けて、すぐCTスキャンを持つ病院に紹介状を書いて、救急車も呼んでくださいました。
結果は、肺炎を患っていました。
2回目の肺炎でした。
「先生、今度も点滴に通わなければいけませんか」
こう訊いたのは、前回の肺炎の時、別の病院で入院を勧められましたが、ちょうど会社が決算期で忙しく、先生に無理を言って点滴に1カ月ほども通ったからでした。
「いや、今は薬も進歩しているので、飲み薬だけで大丈夫でしょう。その代わり、薬は処方箋通りにちゃんと飲み切ってくださいね」
と、これは、前の先生と同じことを言われました。
薬を飲み切った時に「大丈夫でしょう。念のためもう一度、CTスキャンを撮ってください。」
その写真を見ると、肺の白いモヤモヤは消えておりましたが、治った後は、素人目にはちょうど肺に弾丸が撃ち込まれた跡のような、 黒い穴が開いているように見えました。
3、 家族でお世話になる
助けてもらったのは、私だけではありません。
妻が腹痛を起こして、その先生のところへ行った時のことです。
先生はちょっと診ただけで、すぐ紹介状を書いてくださったようです。
会社にいた私は、妻に呼び出されました。
「〇〇病院の先生が、すぐ来てくださいって。」
多くを聞くことなく、私はアタフタと駆け付けました。
診察室で、先生と向かい合って妻が座っていました。
PCの画面を見せながら、先生は仰いました。
「虫垂炎です。薬を投与する方法もありますが、私としては手術をお勧めします。」
妻は、躊躇なく手術を選択しました。
それで、よほど痛いのをガマンしていたことが分かりました。
後日行きつけになった医院を訪れた時、その時のお礼を言うとともに、
「先生のご専門ではない事は分かっているのですが、」と前置きして、「最近目の前を星のようなものが飛んでいてしかたないのです。
書類を見ていても、チラチラして見にくいし、気になってしかたがないのです」
と相談すると、
「私では分かりませんので、ぜひ眼科に行ってください」
と、頭を下げられるのです。
その態度が誠実で真摯で、本心からこちらの身体を心配しているという気持ちが伝わってきました。
4、長年封印していた肩こり、首コリを医師に相談する
そんな感じで、すっかり心を許した私は、その先生に長年悩んでいる肩こり、首コリのことを相談しました。
10歳くらいから様々な処方について試してきたことも話しました。
町の医院から大病院まで行きましたが、何の解決にもならなかったので、長年医師に相談することはありませんでした。
でも、この先生なら何か相談に乗ってくれるかもしれないと、気を許したのです。
先生は、『エチゾラム』という薬を出してくださいました。
けれども私の身体に合わなかったのか、数か月飲み続けましたが、まったく効きません。
「先生、あの薬は効きません。」
私は正直に答えました。
私が気持ちの上で先生に近づきすぎていたのでしょう。もしくは、言い方が悪かったのかもしれません。
その時、先生の口から出た言葉は、【肩こりで死んだ人はいない】でした。
この一言で、その医院の敷居は急に高くなり、それ以来その医院には行っていません。