肩こり、首コリ60年

日々の出来事や感じたことを書いていきたいと思います。

教会での英会話体験

こんにちは、笹井 宏です。

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私は無料の英会話教室に通っていたことがあります。

 

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最初に通ったのが、渋谷です。


渋谷の駅の近くにセルリアンタワーというところがあります。ご存じの方もたくさんいらっしゃるとおもいます。


そのセルリアンタワーの裏側にモルモン教の教会があります。

 

モルモン教は、正式には末日聖徒イエス・キリスト教会といい、毎週木曜日の夕方、宣教師がボランティアで英会話を教えていました。

 

 


こはちょっと変わった協会で、宣教師といっても何人もいて、3ヵ月くらい日本にいて故郷に帰るか、次の赴任場所に赴いていきます。

 

1、 この教会のいいところは、色んな国の人と話すことができることでした。
2、 布教に熱心すぎる宣教師
3、 宣教師にとっては、英会話教室も布教の一部

 

1、 この教会のいいところは、色んな国の人と話すことができること

 

私が初めて行ったときは、外国人宣教師による簡単な面接があり、その面接によって、上級、中級、初級クラスに分類されました。


ところが、その制度も徐々に崩れていき、自分で英語力を判断し、好きなクラスに勝手に入ることができるようになりました。

 

モルモン教の本部はアメリカのユタ州にあります。


当然の成り行きで宣教師はアメリカ人が最も多かったのですが、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド等から来ている人もいました。


各クラスは多いときで10人程度で、日によっては7,8人のときもありました。


授業は先生によってやり方が違いました。


私が最初に教えていただいた先生は、外国人が学ぶアメリカ発行の英会話用の教科書を買わされました。


それも教会で売るのではなく、「大きな書店に行けば売っていますよ」と、自分で用意するのでした。


でも、その教科書で勉強したのは、その先生に就いた3ヵ月ほどで、次の先生は、教科書は使いませんでした。

 

1時間から1時間半くらいの授業で、宣教師が一方的に話すのではなく、ワイワイと先生を中心としてディスカッションを行いました。


その先生は、アラスカから来た若い女性で、その先生の授業に慣れてくると、7,8人が持ち回りで、スピーチをすることになりました。


「はい、来週はあなたね」という風に名指しをするのです。


先生がアラスカ出身であることで、私は、新田次郎の「アラスカ物語」の話をしました。


先生は、主人公のフランク安田を知っているようでウンウンと頷きながら聞いていました。


この私のスピーチで、先生との距離がグンと縮まりました。


クリスマスには、アラスカの原野から家には入りきらないような大きなモミの木を切ってきて家の庭に植え、家族中で飾り付けをした話などもしてくださいました。

 

それから幾人もの先生に教わりましたが、印象に残っている先生は、テキサス州からきた30代くらいの男性でした。


この先生も面白くて、オートバイが好きな人でした。


まっすぐ伸びた荒野の道をフルスロットルでぶっ飛ばす爽快感は、他では得られないという体験談をおもしろおかしく語ってくれました。

 

「オートバイはハーレーダビッドソンですか?」


と、私が尋ねると「ノー、ノー、あんな図体ばかりでかくて、スピードの出ないのは乗らない。やっぱり、バイクはホンダだよ


と、片目をつぶって笑っていました。


しかし、若気の至りでスピードを出し過ぎ、死ぬような事故にもあったそうです。

 

この教会のいいところは、宗教と英会話教室とを切り離し、英会話の時間には、まったく宗教の話しはしないことでした。

 

2、布教に熱心過ぎる宣教師

 

宣教師は3カ月ほどのローテーションで国に帰ってしまうことは冒頭で紹介しましたが、中にはボランティアより宗教に凝り固まっている人が来ることがありました。

 

ある宣教師は、別の人が授業をやっているのに、一人づつ別室に呼んで宗教の話をする、おきて破りの人がいました。


「この人と、3ヵ月も付き合っていかなければならないのか」


そう思うだけで、教会に運ぶ足が重くなりました。


3ヵ月経ったらもうその宣教師はいないはずですので、また行けばよかったのですが、一度遠のいた心はなかなか戻ることができず、そのまま止めてしまいました。

 

3、宣教師にとっては、英会話のボランティアも布教の一部

 

ところがです。埼玉の浦和に同じ協会があることを知ったのです。

 

しかも、その浦和の教会でもボランティアで英会話を教えていました。


土曜日の午後からの授業でしたので、この教会に通ってみることにしました。


1年ほども通ったでしょうか。また、教義の普及に熱心な宣教師がやってきたのです。


私の順番は、授業が終わってからでした。


そのまま無視して帰ってもよかったのですが、そこは日本人の人のいいところというか、待ち構えている宣教師を振り切って帰るのは悪い気がしました。


「あなたは、イエスを信じますか?」


「信じません。」


相手がムッとしたのが分かりました。


「信じれば、あなたは永遠の命を授かるのですよ」


「永遠の命などいりません。人生は有限だからこそ価値があるのだと思います」


難しい英語は、なかなか浮かんできません。


しどろもどろながら、何とか意味は通じました。


けれども、教義に凝り固まった相手は決して主張を曲げません。


大人げないと思いましたが、最後には喧嘩別れになってしまいました。


よく考えたら、彼らにとって使命は布教であって、1人でもモルモン教徒を増やすことです。


英会話も布教の一つの手段であって、宗教を切り離していいとこどりだけしようとした私が悪いのです。


特に日本人は英会話を学びたい人が多く、布教の手段としてはとてもいいツールなのです。


それはわかるのですが、モルモン教徒にかかわらず、宗教を信じている人の多くは、その人の信じる宗教が唯一無二であって、他の宗教はすべて邪教であると考えている人がいます。


彼の言葉から、モルモン教を信じない人は真の幸せを知らない不幸な人である。


だから、これらの人に自分の信じるすばらしい教義を伝えて、幸せになって欲しいと心から信じていることが伝わってきました。


彼は、まじめな人なのです。


だから、彼が考えるすばらしい教義を押し付けるのです。いや、彼にとっては押し付けているという考えすらないのだと思います。


「この不幸な人を救ってやりたい」と、必死だったのだと思います。


私も大人の対応をすればよかったのかもしれません。


けれども、その場限りで「はい、信じます」なんて言おうものなら、宗教活動に誘ってくるに違いありません。


もしかしたら、一緒に布教しようとまで言い出すかもしれません。


個人的には、まじめでいい人だとは思いますが、それで譲歩できることはできません。


英会話教室はおもしろかったのですが、結局はそれきり教会へは行かなくなりました。