こんにちは、笹井 宏です。
先日は、アメリカの人種差別について書きました。
けれど、アメリカだけではありません。
ヨーロッパでも、白人が他の有色人種に対して優れていると考える人はたくさんいます。
口には出さねど、心の中で思っている人はたくさんいます。
1、 大航海時代
スペイン、ポルトガルの略奪
2、 イギリス、フランス、オランダの植民地支配
3、 イギリス、清国から香港をもぎ取る
4、 いまだ残る白人優位の考え方
1、 大航海時代
スペイン、ポルトガルの略奪
時代は大航海時代にまで遡ります。
一般に大航海時代は、15世紀半ばから17世紀半ばまでを指すようです。
今でこそ、スペインやポルトガルはヨーロッパの片隅に置かれ、経済的には目立った存在ではありません。
でも、大航海時代の先駆であったのはスペインでした。
当時、アンデス山中で栄えていたインカ帝国や、メキシコで隆盛を極めていたアステカ王国(16世紀の初め、スペイン人が現れた頃のアステカ王国は、現在のメキシコ高原一帯に、イタリアと同じぐらいの広さの領土を支配していたそうです。)
スペインは、インカ帝国やアステカ王国から略奪の限りを尽くし、莫大な金や財宝を本国に送り続けました。
インカやアステカは馬を持ちませんでした。
それで騎兵を有し機動力に勝るスペインは、インカやアステカに対して蹂躙の限りをつくしたのです。
空中都市で名高いマチュピチュ遺跡を見ても、インカ帝国が高度な文明を築いていたことは容易に想像できます。
マヤ文明とは、紀元前1000年頃から16世紀頃まで、現在のメキシコのユカタン半島から、ベリーズ、グアテマラ、ホンジュラスといった国々のあたりで栄えた文明です。
4万から5万のマヤ文字を持ち、優れた天文学や暦を用いていました。
スペインに侵略される前には南北アメリカ大陸で最も発展した文明の1つでした。
最盛期の8世紀頃には、1都市につき6万人から10万人もの人々が、この一帯でいくつもの王国を形成していたのです。
https://yumenavi.info/lecture.aspx?GNKCD=g007970 夢ナビより
ついにこれらの文明を滅ぼし、ペンペン草も生えないまでスペインの略奪と殺戮は続きました。
ポルトガルも、1500年、カブラルがブラジルに到達しその地をポルトガル領に加えスペイン同様に原住民から富を収奪しました。
メキシコから南米の国々がスペイン語を話し、ブラジルがポルトガル語を話すのはそのナゴリです。
いかに、彼らの支配が強かったのか、このことだけでも分かります。
2、イギリス、フランス、オランダの植民地支配
スペイン、ポルトガルの力が衰えてくると、力を持ってきたのは、
イギリスやフランスでした。
そこに、スペインからの独立を果たしたオランダも加わり、次第に先行していたスペインやポルトガルの力をしのぐようになりました。
彼らは、スペインやポルトガルが広大な領土を獲得したにもかかわらず、急速に没落していった経緯をつぶさに見ていました。
そこで、イギリス、フランス、オランダがとった政策は、植民地支配でした。
スペインやポルトガルが中米から南米を支配していたので、イギリスやフランスは北米の支配権を手に入れました。
しかし、彼らの欲には際限がありませんでした。
次は、アジア、アフリカです。
イギリスやオランダやフランスはアフリカやインド洋にも航海して独自の交易地や植民地を確立し、この方面に独占的に勢力を築いていたポルトガルの地位を脅かした。
ポルトガルの最も利益の大きい拠点であるゴアやマカオを、新興諸国の拠点(香港やバタヴィアなど)が包囲し、オランダがインドネシアを勢力圏として香料諸島からポルトガル勢力を駆逐すると、次第にポルトガルやスペインがアジア貿易市場に占めていたシェアは小さくなっていった。
新興諸国は、残る未知の地域(北アメリカ西海岸や太平洋の島々など、トルデシリャス条約でスペインに与えられた地域)もスペインより先に探検した。
1606年にはウィレム・ヤンツ(Willem Jansz)が、1642年にはアベル・タスマン(Abel Tasman)などオランダの探検家がオーストラリアを探検している。
こうして17世紀中ごろまでに一部の不毛地帯を除いた全ての地域にヨーロッパ人が到達して大航海時代は終焉を迎える。
世界中の富が集中するようになった英国をはじめとしたヨーロッパ各国は、いち早く近代化を達成し世界に覇を唱えた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/大航海時代 より
3、イギリス、清国から香港をもぎ取る
ヨーロッパ諸国は、略奪や植民地支配で富を築いたのです。
特に、大英帝国は世界中に植民地を持ち、日の沈まない国と言われました。
今、中国 国家安全法で問題になっている香港も、アヘン戦争の結果です。
イギリスが清国にアヘンを売りつけました。
国内のアヘン蔓延に苦り切った清の大臣林則徐(りんそくじょ)は、徹底してアヘンを禁止し、発見したアヘンは焼却処分にしました。
清国としては、当然の処置だったと思います。
ところがイギリスはこれに文句をつけ、イギリスは清国に喧嘩を売りました。
これがアヘン戦争です。
清国を打ち負かしたイギリスは香港をもぎ取り、植民地にしたのです。
4、いまだ残る白人優位の考え方
トランプ米大統領の、アメリカンファーストどころではありません。
ヨーロッパ以外の国や人々の命は、自国を繁栄させるためだけに存在したのです。
やがて、イギリスに産業革命が起こり、それからヨーロッパ諸国はより発展していきました。
けれども、その基礎となったのは、略奪と植民地支配によって得た富があったからです。
私たちは、何となく白人優位にものを見がちです。
「欧米では……」というよく聞く言葉も、基本的には白人を指していると思います。
WASPとは、ホワイト、アングロサクソン、プロテスタントの頭文字です。
アメリカ社会で成功するには、肌の色、人種、宗教までもが限定された時代があったのです。
バラク・オバマ氏がアメリカ大統領に選ばれたとき、彼は「Change」といいました。
しかし、有色人種に対してやりたい放題やってきたご先祖様の生き様や考え方が、すべての白人の心から拭い去られた訳ではなかったのです。