肩こり、首コリ60年

日々の出来事や感じたことを書いていきたいと思います。

肩こり、首コリ60年ーー他人と比較しない!自分の人生は自分だけのもの

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 こんにちは、笹井 宏です。

 治療のことをだいぶ書いてきました。

 ふと、思い出した、辛かった高校時代のことを書いてみたいと思います。


「ふん、似たようなこと前にも読んだぞ」と思う方もいらっしゃるでしょうが、少しの間お付き合いください。

 

1、 忌み嫌う自分と鼓舞する自分
2、 他人に辛さはわからない
3、 他人と比較しない

 

1、忌み嫌う自分と鼓舞する自分

 

 私は多くの人から明るく、冗談好きだと思われています。

 

 けれども、肩こり、首コリに悩まされ、中学時代からは、自分を忌み嫌っておりました。


 その頃は肩を叩くだけで、対処方法が分からず、毎日が憂鬱で将来はまったく見えませんでした。

 

 一方では、『もっと重病で苦しんでいる人たちがいる。

生死の瀬戸際に立たされている人もいる。5体があるだけでも、満足しなければ』と、励ます自分もいました。

 

 特に、本気で勉強しなければならない高校時代は、体調が最悪の状態でした。

 

 本に向かっても、身体全体が拒否しました。それでもがんばっていると、眼底が痛く涙が溢れてきて活字を追うことはできません。


数学の問題は、頭に霞がかかって考えることができません。

それでも、負けず嫌いの私はすりこ木で首や肩をゴリゴリやりながら、何とかがんばろうとしました。


結局は、コリに勝つことはできませんでした。

 

 もちろん、両親も考えられる限り駆けずり回りましたが、どうしようもなかったことは、以前に書いた通りです。

 

2、他人に辛さはわからない


 身体の辛さ、内心の葛藤に耐え切れず、高校1年生の時、担任の女性の先生に打ち明けたこともありました。


 その先生は家も近く、私に目をかけてくださっていたので、話しやすかったこともありました。

 

「身体を治しておかないと。3年生になって本格的に勉強しなければならなくなった時、がんばれないよ」


 私がバカでした。


 自分の辛さは、自分にしかわからないのです。


 それからは、内にこもって心を見せなくなりました。

 

 私は人前では冗談を言って明るく振る舞い、1人になると落ち込んでいました。

 

「笹井さんができることなら、何でも私はそれ以上のことができるわ」


 面と向かって言ったのは、同じクラスの女子のIさんでした。

 それは、多分私の成績と比べてのことだと思います。


 その言葉に対して、「あ、そう」と、冷たく言い返すことしかできませんでした。


 私の通っていた高校では、2年生になると3年生の教室編成のため進路を決めなければなりませんでした。


① 国公立理系②国公立分系③私立理系④私立文系と、試験科目が違うため履修する科目も大学受験に合わせるためです。

 

「笹井、お前。国公立理系クラスに行くつもりか」


 私が黙っていると、「フン」と一言いったきりで、私の名札を片手で跳ね上げて行ったのは、Y君でした。

 

 Y君はみごと京都大学工学部に、現役で合格しました。

 

 歌の文句ではありませんが、「15,16,17と私の人生は暗かった~♪」のです。

 

3、他人と比較しない

 

 【他人と比較してもしかたがない。この身体といかにうまく付き合っていくかが、オレの人生だ】
 

 そう思えるようになったのは、多数の先生の治療のおかげで身体が少しずつ楽なり、仕事も人並みにできるようになった27、8になってからでした。