こんにちは、笹井 宏です。
治療のことをだいぶ書いてきました。
ふと、思い出した、辛かった高校時代のことを書いてみたいと思います。
「ふん、似たようなこと前にも読んだぞ」と思う方もいらっしゃるでしょうが、少しの間お付き合いください。
1、 忌み嫌う自分と鼓舞する自分
2、 他人に辛さはわからない
3、 他人と比較しない
1、忌み嫌う自分と鼓舞する自分
私は多くの人から明るく、冗談好きだと思われています。
けれども、肩こり、首コリに悩まされ、中学時代からは、自分を忌み嫌っておりました。
その頃は肩を叩くだけで、対処方法が分からず、毎日が憂鬱で将来はまったく見えませんでした。
一方では、『もっと重病で苦しんでいる人たちがいる。
生死の瀬戸際に立たされている人もいる。5体があるだけでも、満足しなければ』と、励ます自分もいました。
特に、本気で勉強しなければならない高校時代は、体調が最悪の状態でした。
本に向かっても、身体全体が拒否しました。それでもがんばっていると、眼底が痛く涙が溢れてきて活字を追うことはできません。
数学の問題は、頭に霞がかかって考えることができません。
それでも、負けず嫌いの私はすりこ木で首や肩をゴリゴリやりながら、何とかがんばろうとしました。
結局は、コリに勝つことはできませんでした。
もちろん、両親も考えられる限り駆けずり回りましたが、どうしようもなかったことは、以前に書いた通りです。
2、他人に辛さはわからない
身体の辛さ、内心の葛藤に耐え切れず、高校1年生の時、担任の女性の先生に打ち明けたこともありました。
その先生は家も近く、私に目をかけてくださっていたので、話しやすかったこともありました。
「身体を治しておかないと。3年生になって本格的に勉強しなければならなくなった時、がんばれないよ」
私がバカでした。
自分の辛さは、自分にしかわからないのです。
それからは、内にこもって心を見せなくなりました。
私は人前では冗談を言って明るく振る舞い、1人になると落ち込んでいました。
「笹井さんができることなら、何でも私はそれ以上のことができるわ」
面と向かって言ったのは、同じクラスの女子のIさんでした。
それは、多分私の成績と比べてのことだと思います。
その言葉に対して、「あ、そう」と、冷たく言い返すことしかできませんでした。
私の通っていた高校では、2年生になると3年生の教室編成のため進路を決めなければなりませんでした。
① 国公立理系②国公立分系③私立理系④私立文系と、試験科目が違うため履修する科目も大学受験に合わせるためです。
「笹井、お前。国公立理系クラスに行くつもりか」
私が黙っていると、「フン」と一言いったきりで、私の名札を片手で跳ね上げて行ったのは、Y君でした。
Y君はみごと京都大学工学部に、現役で合格しました。
歌の文句ではありませんが、「15,16,17と私の人生は暗かった~♪」のです。
3、他人と比較しない
【他人と比較してもしかたがない。この身体といかにうまく付き合っていくかが、オレの人生だ】
そう思えるようになったのは、多数の先生の治療のおかげで身体が少しずつ楽なり、仕事も人並みにできるようになった27、8になってからでした。